愛着のある、あるいは刺激を受けたり何度も聴き返して止まないレコードについて、メモ程度にポツポツと語ってみます。

 

 

【The Beach Boys 『SMILE』その1 (2004年当時)】


Beach Boys『SMILE』といえば期待されながら世に出ることのなかった幻のアルバムの代表として多くの人の知るところだと思うし何故「幻」であるのか、そして何故今『SMILE』の新譜が出るのかを説明することはこの文の趣旨ではない。

 

 『SMILE』は制作当時から完全にベールに包まれたアルバムというわけでは決してなく、The BeachBoysという商品に対して実験的な音楽制作を否定する大企業Capitolに対する皮肉のように後のアルバムに長い間に渡って小出しに(その都度新たな録音編集が加えられ)音源が公開されてきた。しかしそれは却ってジャニスやジミヘンの死と同じように一部のファンの失われたものに対するカリスマ化した思い入れを増長させることになったようで、尽きない興味はあるもののそのことについて僕はかなり遠目から眺めてきたように思う。

 90年代に入ってから俄に『SMILE』の音源が海賊盤で出回るようになり少し事情が変わってきた。海賊盤とはいえ昔雑誌で観た予告ジャケットそのままの("The Beach Boys"の文字は欠落しているものの)このレコードを店の箱の中で見かけた時には基本的にブートには手を出さんという戒めをあっけなく解いてしまったのだった。2500YEN也という新譜と変わらない値段に動かされたのはもちろんだが。

 

 最初に聴いた時はほとんどオケのみのようなテイクの羅列で、未完成になったアルバムとしての事情が伺えるなあという程度の印象だった。またやたらに長い『Good Vibrations』にしてもスタジオから盗み録りした海賊盤制作者の事情など考え、たぶんそれらしきものを手当り次第につなげてみた、程度の想像で終わっていたのだ。けれど内容のあまりに密度の濃い、そして漂っている独特の雰囲気に惹かれて繰り返し聴くうちに、自分の中で『SMILE』に対する決着がついたように思った。 この音源をそのまま『SMILE』として聴こうという。

 それはCD版の海賊『SMILE』が出まわるようになりさらに確信が深まる。既に持っていたこのアナログ盤とは微妙に中身が異なるのだけれど、前に想像した手当り次第につなげたという張本人は実はBrian自身だったというのが分かってきたからだった。伝説的に語られてきた話で、テープを切り刻んで床にぶちまけそれをランダムにつなげて編集したというのを聞いたことがあったが、こういうことだったのかとその時ようやく納得したのだ。

 

 80年代に入ってビンボーなミュージシャンでも(でなくとも)カセットの4トラックMTR、ドラムマシン、シーケンサーなど使えるようになり、芝居の音楽などにも関わるようになって曲やリフレインを断片的に作って再構築するような作業を模索してきたのだけれど、60年代当時のこの心のタガが外れてしまったスーパースターの台所で行われ未完成のまま置き去りにされたテープの中にそのヒントが隠れていた。今となっては「未完成」と結論するのも気が引けるくらいだ。

 

 『SMILE』音源の流出は当時広く大きな影響があったというのはHigh Llamasなどが『SMILE』のオケをつぎはぎしたとりとめなくミニマルな演奏を、そのまま自分のオリジナルに移し替えて完成品として発表したりするのを見てもよく分かったし、ああ皆思いは同じなんだなと納得したのだった。

 

 Capitolが先走って作ってしまったジャケットには曲順が書かれているのだがこの音源集を聴きこむにつれそれはやはり信用出来ないなと思っていたので、なんとか曲順だけでも分かればこの断片的なもの(それでもいっこうにかまわなかったのだけれど)を制作者が意図した流れに沿って聴いてみれるのになあという思いがあった。今はパソコンの編集ソフトでかなり突っ込んだ編集が出来るし「My『SMILE』」のようなものも可能かなというところまで来ている。自分の為にもなるしいつかやってみなくてはと思っていたのだ。そこへBrian Wilson『SMILE』の登場だ。

 

 とにかくBrian自身から『SMILE』の回答が示されたわけだからこれほど心強いものはない。そのうえ晴れて、完成予定だった『SMILE』を想像しながらそれに近いものを作る必要がなくなった今となっては自分好みの編集を自由に加えることが出来るのだ。音源はたっぷりある。オフィシャルのものでも編集盤などにかなり完成度の高いテイクが納められていたりするし、その気になれば海賊盤(という言い方ももう意味が無くなっているようだ)3枚組BOXセットなど幾つか手に入るらしい。あとは手間さえ惜しまなければまさに自分好みの「My『SMILE』」を構築出来るのだね。

 この世に「幻」と呼ばれる音楽は数あれど、聴き手によって自由に編集可能なものはこの『SMILE』だけなのかもしれない。音源が揃っているということよりも元々編集によって構築されてきた音楽だったから、そして基本となるいくつかの主題をもとに採用されないかもしれない別バージョンを大量に生産したということが重要だ。さらにその編集の為のアイテムは全て自家製のものであるというのが今の音楽の流儀と一線を画するところだ。

 

 曲目と中身の一致など資料を求めて検索しているうちに 萩原健太氏のページ(右手の『SMILE』のジャケットをクリック)に行き当たった。やはり「My『SMILE』」、やっておられる。少なくとも日本中でどれだけの人がこういうくだらないことに人生の貴重な時間の一部を費やしているのかを想像するとついニヤニヤしてしまう。それもそのうちのたいていの人は自分で作って自分で満足するだけで済ませているに違いないと思うから。  (2004年12月9日) 

 

 

 

【cheapo-cheapo productions presents "Real Live "John Sebastian】


 音楽をやっている人間のわりに(であるが故、ということもある)音楽の情報に思いっきり疎い僕だけれどこの夏にたまたまAmazonで色々検索をしていて『SMILE』が秋に発売されるということを知って驚いた。もう12月になって既にそのアルバムを手にしているわけだけれどそのおかげでやるべき仕事が一つ出来てしまった。

 

 いつの頃までだったか「レコード」といえば塩ビ(だけではないが)のお皿に溝が刻まれたもののことを指していた筈だ。それもそんなに昔のことではなくたかが15年から20年前くらいのことだろう。そして今はCDの時代。いやもうハードディスク・プレーヤーが出回ってきて世の中は様々なフォーマットの「レコード」が当たり前のように並列して存在する時代。その分再生、録音のための「ハード」も色々揃えておかねば聴きたい音楽に対応していくのは困難になっている。そして今「アナログ」(と呼ばなければならないじゃまくささ)レコードは・・・。正直なかなか聴く機会がない。何度か大量処分したとはいえ我が家のレコード棚には少なく見積もっても600枚以上のLPレコードが収まっている。引っ越しの度にいつも頭を悩ますのはこの重い重いレコード群とかさばるCD、楽器、機材達の扱いだった(それ以外にまともな家財がないというのも恥ずかしい)。それだけ苦労もしている筈なのだが、・・・聴けていない。

 

 やはりCDプレーヤーやパソコンから音楽を流す手軽さが日常化しているもんなあ。この間結構高級なレコードプレーヤーが大型ゴミに出ていたのを見つけつい持ち帰ってしまった。今まで持っていたものもそうだがこういうものはあまり使わないでいると回転系が目詰まりを起こしてだめになっていく。家にあったものはベルトドライブ(死語か?)のうえモーターが非力になってきて回転にムラが出るようになっていた。拾ったものはあこがれの(とほほ)ダイレクトドライブ(前に同じ)だ。モーターは全く問題ないものの今度はアーム(前の前に同じ)がレコード盤に下りてくれない。支点のどこかでグリースが固まったりして動きが悪くなっているに違いない。それでも何度か動かしたりしているうちに聴ける程度には立ち直ってくれるが、次に聴く時にはまた同じことの繰り返しだ。何とも気の長い話。こういうことでもまた聴く気が削がれてしまうというわけ。

 

 前振りのつもりが長々とぼやきに終始してしまったが、結局何を言いたかったかといえば家に眠っているレコード盤をなんとか救済したかったということ。「LP盤アワー」という標題もその願いを込めてのものだ。とにかく少しづつレコードを引っ張りだしてきて、それをネタに浮かんだこと書き留めておこうという狙いだ。レコードレビュ-をする積もりはないので(そういう羽目になる場合もあるかもしれないがそれは気の赴くままということにしておいて)とにかく話はどんどん脇道にそれていってほしい。ほらこんな具合になかなかタイトルまで辿り着かない、というのが理想的だ。とにかく僕がレコードを買い始めてからの長い歴史の中で選りすぐられ生き残った精鋭達なのだから、いくらしゃべっても足りないくらいのはずだけど・・・ね・・・か?

 

 さてようやくタイトルの"John Sebastian 『Real Live』"だけれど、何故このレコードをまず選んだかというと自分自身が今ソロでライブをしているからだ。曲を作る時に僕の頭の中には既にバンドサウンドが鳴っているのでギター一つでライブをするというのはサウンドにかなり落差があり、いつも苦労するところ。なるたけ曲のイメージをちゃんと伝えようとするにはいろいろアイデアを盛り込まねばならない。そういう時にいつも目標にしているパフォーマンスがこのJohn Sebastianのソロライブだ。Lovin'Spoonful時代のおなじみのヒット曲やトラッド、ティーンエイジ・ロックンロール・メドレーなどPaul Harrisのkbdのサポ-トはあるもののそれがなくとも十分人を楽しませることの出来る表現力だ。昔見たRy Cooderのソロステージは圧倒的なリズム感と技術に白旗を揚げたものだけど、このレコードにはテクニックじゃなくてJohn Sebastianの中にある豊かな音楽がギターとボーカルだけであくまでも軽やかにくり広げられている。どちらもまねしようとしてもそれは出来ない相談だろうの境地だけれどね。ギターを弾くというのではなく音楽を弾くという意味での技術がすごく高いし、楽器とボーカルが分離されて演奏されている。おそらくフェスティバル級の大きな会場でのパフォーマンスだと思うけれどこのアットホーム感はなんだ!

 

 実はこの頃契約の問題がややこしくなっていて、MGMからもライブアルバムが発売されている。選曲、内容ともにそちらの方が良かった記憶があるが残念ながら買いそびれてしまった。でもま、聴き慣れたものが自分にとってのベストであるからこれでいいのさ。

 

 Cheapo-cheapo Productionという小さなプロダクションでやってます、てなことがジャケットやステージMCから伺えるが、こういうのが好きだ。Nilson House Productionとか、イギリスではWitchseason Productionとか自家製です、手作りですというような姿勢が見えるのが気持ちいい。 (2004年某日)